国立歴史博物館(以下、「歴史博物館」)は1955年に設立されました。社会教育の重要性を感じていた、当時の教育部部長 張其昀氏が、米国ワシントンD.C.の公園をコンセプトにしたスミソニアン博物館をモデルに、台北植物園内に最初の国立博物館群を建設しました。文化パークが南海路に隣接していたことから「南海学園」と名付けられました。歴史博物館(当時は「国立歴史文物美術館」と呼ばれていた)は、まず12月4日に公園内に建設され、包遵彭氏が初代館長でした。1956年3月12日に正式オープンし、1957年10月10日に今の名に改名されました。その後、国立中央美術館、国立台湾科学館、国立教育資料館、国立芸術館が次々に設立されて、共同で「南海五館」となり、当時の社会教育に大きな機能を発揮しました。
歴史博物館はオープン当初、収蔵品がありませんでした。翌年(1956年)、教育部から戦後日本から返還された古美術品と元は河南博物館収蔵の文化財それぞれ一式が移管され、歴史博物館の収蔵品の重要な基盤となりました。その後、政府機関からの移管、各界からの熱意ある寄贈、博物館の購入、個人が発掘出土した文化財などさまざまなルートを通じて、日に日に収蔵品が充実し、現在ではその数5万点以上にも達しています。既存の収蔵品は、中国絵画、法書、西洋絵画、翡翠、陶器、磁器など19のカテゴリーに分かれています。収蔵品の内容には、先史時代の彩陶、商周の甲骨青銅器、唐三彩、石仏彫刻、玉器、中華民国初期の家具や人形劇の人形、現代の書画など、多種多様な古今東西のものが含まれ、深い民間性と生活性を有しています。
歴史博物館の建物は、元は日本風木造建築で、日本統治時代の1916年に開催された台湾勧業共進会(博覧会)のために建てられた「迎賓館」でした。後に総督府の商品陳列館として使用され、中華民国政府が台湾に移転後の1955 年、歴史博物館に移管されました。 1950年代から1970年代にかけて、数回の大規模、小規模な増改築を経て、現在の鉄筋コンクリートの伝統的な中国宮殿様式となり、その外観は戦後復興した中華民国の文化政策を反映しています。2007年に台北市政府より、「歴史的建造物」に指定登録されました。2013年からは、運営と安全な使用のニーズに応えるため、行政院に対して「国立歴史博物館グレードアップ発展計画」を積極的に働きかけました。承認後の2019年3月より、現代的な展示、サービス、管理運営などの機能やニーズを備えた空間を目標に、元の建物の特徴である「色絵」や「釉薬瓦作り」を残しながらの修復・再利用工事を行ってまいりました。2024年初めに新旧の工法を組み合わせた全く新しい歴史博物館が完成し、リニューアルオープンする予定です。台湾の文化芸術に関心を持つ多くの人々にとって、歴史博物館は貴重な文化財と豊かで独特な文化的景観の色合いを保持しているだけでなく、豊かな記憶と深い感情、凝縮し共有された記憶を有する重要な文化資産の場所でもあります。
2012年5月20日、歴史博物館は組織再編により、文化部の管轄となりました。台湾の社会・文化と地元のつながりをさらに強化し、台湾美術界の重要なプラットフォームとなるとともに、世界とつながることを目標に掲げてまいります。歴史博物館は戦後の台湾に設立された国立博物館なので、オープン以来、歴代の館長たちが積極的に事業を拡大し、時代とともに進歩し、創造、発展、変革、近代化という歴史の軌跡を経てきました。その間、さまざまな伝統的展覧会を開催し、時代の変化とともに、長年にわたり人々に多様な文化的視野をもたらし、台湾の博物館界の発展と変革を見届けてきました。今後も台湾の芸術と文化の発展を深め、各界のリソースの結合に努めていくことで、国民と世界に歴史博物館が台湾の現代社会の文化芸術史の基盤と認められるよう願っています。台湾の国際社会における知名度と参加を促進し、台湾社会の芸術文化の新しい価値を共に創造し、「台湾の現代社会の文化発展の歴史の理解に貢献する博物館となる」というビジョンの実現に取り組んでまいります。